大広田アコギの会

  会長あいさつ  これより谷会長よりお言葉をいただきます。

アコギを愛する皆様こん○○は。

大広田アコギの会の会長を務めます、谷 富士雄です。以後宜しくお願いします。

私、すでに 40 代後半にさしかかり、人生、もう一旗揚げたい、何か義務感に駆られまして一握りの勇気を持って動き出したらこんなすばらしい会ができてしまったのです。生きているというより生かされている自分がここに改めて誕生したと言う感覚かなぁ〜。いろんな方に支えられての今の自分を自信で見守っていきたいですね。

最初にアコギの会の会長はどんな人なの?・・・の質問に答えたいと思います。

単刀直入に言えば、、"歌とギターが好きな単純なオッサン" (^^) ってなところでしょうか・・・。西暦 1970 年、、まだ中学生だった頃・・歌謡曲や演歌がテレビでよく流れていました。テープレコーダーに自分の歌を録音してみたりもしました。・・・があまりの下手さかげんにショックを受けたのを今でも鮮明に覚えています。 同じ年代の方は経験があるかと察します・・・(笑い)・・。

中学 1 年生のとき、友人の姉さんが熱狂的なビートルズファンでして、、、 しかし、当時彼らはスーパーアイドルでありながら日本では否定的な声が多かったのです。長髪、エレキギター、イコール、不良集団。でも初めて聞かせてもらったレコードに鮮烈な感動を覚えました。、、、カッコイイ!! ギターを弾きながら歌を歌う、すばらしい・・・世の大人達はなぜ彼らを認めないのだ!と不思議に思ったものです。

いわゆるカルチャーショックと共に音楽での自己表現に目覚めたわけですなぁ〜なんちゃって・・・。高校生になったとき、同じクラスで教室にギターを持ってきた人がいたんです。注目の的・・・。"ギターはもてるのだ" という錯覚に陥り、その後彼の影響もありフォークソングを知ることになったのでした。かぐや姫、井上陽水、吉田拓郎、さだまさし、小室等、アリスなど・・・。彼らのメッセージは深く私の心に刻まれ、以後消えることはないでしょう。

よって学生の頃は当然フォークソングクラブに所属。おだてられて部長に昇格、音楽の世界で人のお世話をすることになったわけですなぁ〜。(大げさか?)不真面目な学生で勉強もせずギターばっかり弾いてましたよ・・(笑い)・・。

そんな私も無事就職し、一端の社会人となったわけです。が、音楽だけはへたくそながらも忘れることができず、いろんなイベントに参加していました。懐かしいなぁ〜。42 の祝い、還暦祝い、結婚式、納涼祭、学園祭、・・・など。総曲輪通りのイベントでも何かやったような・・・。富山大学が主催されたかと思うのですが富山県大学生音楽・・何とか祭・・? みたいのが公会堂や県民会館であったような? 富山県の大学生が一同に集合してコンサートしました・・たしか・・。うちのおふくろも見にきていましたよ。

話しているうちに結構いろんな場面を思い出しますなぁ〜。まぁ〜そう言った過程で今の私が形成されたわけです。

皆さんは今だからすべき事、目先のことではなく続けて行かなくてはいけないこと・・・何か持っておられるでしょうか? そんな話聞きたいです。以後よろしくお願いします。

                                                        2004 年 10 月 29 日 谷 富士雄


 設立経緯  いかにしてアコギの会はできたのか?

 それはオバケ屋敷からの子供達の叫び声がおさまって、怖い化粧そのままで夜の暗がりの中、自転車を走らせるどこかのお母さん注1やお姉ちゃんやお兄ちゃんに抱きついたままの低学年の子供達がグラウンドのテントに向かって歩いていたり・・・。

 昨年注2、大広田小学校で行われた通称「パッキャン」親御さんや先生方が子供達のために企画したグラウンドにテントを張っての一夜。お父さん、お母さん、先生、子供達が一緒になって夕食の支度、テント張り、キャンプファイアでの合唱、ゲームなど。

 その日の予定終了後、お父さん達は夜警の前のしばしの休憩タイム。なにげに腰掛けたそばにはギター注3が横たわっていたのです。今回の行事のプログラムにはこれに関する企画はないはず注4、誰かが合間をみてみんなと歌うつもりなのか?

 しばらく弾いていない私は、とってもとっても弾きたくなり、我慢できずに PTA 会長に「これ・・・弾いてもいいですかねぇ〜?」と尋ねると、「私の知っている人だから、どれだけでも好きなだけ弾いてください」と嬉しいお言葉。え!知り合いだけだ注5というだけでそんなに簡単に他人に触らせてもいいのだろうか?...でも私もいい加減なもので、ではでは遠慮なく(笑)。持ち主の了解もなく勝手にジャラーン。それは久しぶりの鉄弦の響きでした。

 夜も更けた中でその音色はにわかに人だかりを作りました。けっこう適当に弾いていたのはやはり昔懐かしのソングばかり。と、ある女の子が「SMAP の世界に一つだけの花って弾けんがぁ?」「え!そ、それは弾けない。今度練習してくっちゃ」と言っておきました。今度っていつやろ? 「ギター好きすか?」と聞かれ、私は迷うことなく「大好きだよ、カッコいいやろ!」と言っておきました。子供達の思い出として心の片隅に残ってくれればいいなぁ。

 そのギターの持ち主が副会長注6の山崎さんだったのです。

 このことがきっかけとなり、今年注7のパッキャンではギター伴奏でみんなで歌うコーナーが企画されたそうです。とっても素敵ですよね。今回は山崎さんと羽場さんが活躍された注8とのことです。私も出来れば参加したかったのですが、都合がつかず残念ながら参加できませんでしたが。

 そんなこんなで私は山崎さんと知り合いとなり、「この校下にもギターサークルがあればいいのにねぇ」との一言に彼は「是非やりましょう。協力します」と言ってくれました。校下の回覧板に募集記事を載せてくださった地区センターの石坂さんをはじめ職員の方々、ポスターを貼らせていただいたホットスパーや文苑堂の方、ありがとうございました。

 こうしてようやくこの地区にも音楽の火種を集うことができました。

 会員の皆様、この会をどのように進めていけばよいかを少しずつですが話し合っていきたいと思います。

                                                   2004年8月18日 谷 富士雄

注1 そう、H さんです。
注2 2003年(平成15年)です。
注3 Cat's Eyes CE-200 です。
注4 一応、キャンプファイアのとき、歌伴するつもりだったのですが... 果たすことはできませんでした。
注5 会長と副会長という間柄ですから。
注6 大広田アコギの会副会長 && 大広田小学校 PTA 副会長
注7 2004年(平成16年)です。
注8 これがバリー&ボンボンのファーストステージでした。


HOME に戻る